20億人を魅了してるアフガニスタン民謡に隠されたストーリー
https://youtu.be/82ca-3cV1gE
むかしむかし、アフガニスタンのヘラートにある村に若い先生がいました。 ある日、その先生は科学者や天文学の学者や自身が集うセレモニーに参加するため、スルタンの宮殿にいきました。
スルタンはそこで、若い先生に語りかけました
名前はなんだ?「モハマッド・ジョン、閣下、私はガザールガから来ました」「どうしてそんなに長い髭をはやしてムラーになったのだ」スルタンは微笑みながら、「我々はこれから君をムラー・モハマッド・ジョンと呼ぶことにしよう」「これは名誉なことです」とモハマッド・ジョンは答えました。
あたらしい、呼び名をいただきムラ・モハマド・ジョンは学校に戻りました。帰り道に、不安げに走ってくる少女がいました、彼にぶつかりそうになったそのとき、2人は目をあわせました。
ムラ・モハマド・ジョンは、彼の若い人生の中でこれほど美しいものを見たことがなかったので、心臓が高鳴りました。
“名前は?” ムラ・モハマド・ジョンは勇気を出して尋ねました。
彼女は迷うことなく「アイーシャ」と答えました。
それからすぐに野原からアイーシャを呼ぶ声がしたので。彼女はすぐにベールをかぶり、果樹園のほうへ走っていった。
それからしばらくして、2人は果樹園で再会を果たし
お互い他の人と結婚しないことを誓い合いました。
このことはアイーシャの父、イサク将軍に伝わり
ムラ・モハマド・ジョンは、アイーシャに結婚を申し込むために彼の父親に尋ねたのです、が娘アイーシャが若い優秀な兵士と結婚が決まるまで、彼女の外出を禁じました。アイーシャは、昼は泣き、夜は蝋燭の明かりの中で愛する人のために詩を書き、病人のようになってしまいました。
そんなアイーシャを見て、彼女の母親はピクニックを企画し、村の娘たちが集まって歌い踊り、アイーシャを喜ばせるようにした。女の子たちがドイラ(フレームドラム)を演奏し、歌を歌う間、アーイシャは黙って川を見つめていました。少女たちはついにアーイシャを取り囲み、歌うように要求した。母親もそうするように勧めた。アイーシャはドラムを手にすると、美しく燃えるような声で歌い始めた。
Beya ke borem ba mazar Mullah Mohammad Jon
بیا که بریم به مزار ملا محمد جان
聖なる祠マザーリへいきましょう、愛するムラ・モハマド・ジョンさま
Sailey gul e lalazaar wah wah delbar jon
سیل گل لالهزار واوا نفس جان
まわりはチューリップの花でいっぱいです、愛する人よ
Boro ba yaar bego, yaar tu aamad
行って、あなたの愛する人が来たと伝えてください
Gul e nargis khareedar tu amad
水仙の花を携えて、ここで待っていると
Buro ba yaar bugo chashm tu roshan
行って、あなたの目の輝きを伝えてください
Aman yaar e wafadaar tu amad
あなたと誓い合った愛する人が来たことを
アイーシャが歌い、周りの人たちは泣きました。そのうちに馬が走ってきて、大ワジールのアミール・アリー・シェル・ナワイが馬から降りてきてこういいました
「マルハバ、なんて美しい歌なんだ」彼はそう言うと、少女たちは男の声を聞いてすぐに顔を覆いました。「このムラ・モハマド・ジョンは誰だ」
アイーシャは、自身の失恋のことをナワイに伝えました、
そしてアリ・シェル・ナワイはこの間違いのために、尽力すると約束しました。
翌日、スルタンはアリ・シェール・ナワイの要請を受けて、ムッラー・モハマド・ジョンを宮殿に呼び出した。彼の重々しい様子を見て、単刀直入に尋ねた。
「アイーシャは誰のことですか、ムッラー・モハマッド・ジョン?」彼女の名前を聞いて、ムッラー・モハマッド・ジョンも自分の言い分を話しました。
スルタンと彼の馬のキャラバンは、イサク将軍の屋敷に向かってトレッキングをした。スルタンを先頭に、ムラ・モハマド・ジョン、老父、アリ・シャー・ナワイがイサックの家に入り、アイーシャをムラ・モハマド・ジョンに結婚させるよう要求した。アイーシャは、ムラ・モハマド・ジョンとの結婚を申し込んだ。Issaq将軍は、この申し出を受け入れ、結婚式の主催を申し出ました。
しかし、結婚式は父ではなくスルタンが直々に手配し、7日間の祭りの後、アイーシャとムラ・モハマド・ジョンがついに結婚しました。
マザール・エ・シャリフにあるアリーさまの廟で、その年の新婚者はジャンダ(旗)の掲揚に参加するのが慣例となっている。ムラ・モハマド・ジョンとアイーシャは、マザール・エ・シャリフに向かうキャラバン隊に加わった。その道中、宮廷の楽師たちは、今では有名になったアイーシャの歌を演奏していました。
参考資料 The Famous story of Mullah Mohammad Jan
女性からの求婚も珍しくないイスラム圏
あれ?タリバンとかって女性が歌うのを禁じたりしてなかったっけ?
はい、たしかに宗派や考え方によっては厳しいルールがありますが
一口にイスラム圏といっても、地球人口の5人に1人なので地域によっての多様性は当然ながらありますよね。
女性が虐げられてるイメージがあるかもしれないイスラム圏ですが、この物語のように預言者ムハンマドさまの妻になったハディージャさまもまた、彼女の方から求婚したという言い伝えがあります。
というわけで、
こんなストーリーが、多くの音楽家がカバーして世界中で有名になったメロデイには隠されていました。この楽曲はその美しい詩とともに民族楽器ラバーブで弾くと、とてもよく響くメロデイです。
楽曲で使われている音のパターンはBhairaviとよばれ
別名、朝から午前中にかけて効果的なモードとされています。専門的すぎて、よくわかんないかもですが
朝や夕方、時間帯によって私たちのこころと体の状態は大きく変わりますよね。
ここでつかわれる、音階や音の奏で方が1日の時間帯などにあわせて音楽療法のような使われ方をしているのは、ただのメロデイ、ただの歌にとどまらないで深い文化遺産の伝統の上に成り立っているってことでもあります。
伝統とかって?難しそう?って思うかもですが
こうした民謡から入るのは実はそんなに敷居高くないです。実際私たちも、ギターなどをいれたアンサンブルでも演奏してます。
民族楽器を持っていなくても
手持ちの楽器でもこうした音楽を気軽に学び親しむことができます。
気になった方はご相談ください。こうした音楽をちょこっと弾けたり、知ってたりするだけで異文化コミュニケーションのスキルがグーっと向上します。
日本はこれからどんどん人口減少するけど、イスラム圏ではまだまだ人口増加するので、関わっていくチャンスも相対的に高まることは確実です。
音楽や楽器や詩を通じて、お互いの文化を知ることは
人生100年の時代、ほんとうに豊かにいきることに直結してきます。
なにかをはじめるのに、学びはじめるのに遅すぎるなんてことはありません。思い立ったらすぐに行動してみると人生楽しくなります😌
こちらに譜面を用意したので、無料ダウンロードOKです。
Bia_ke_borem_ba_Mazar