アイヌ楽器トンコリがコーカサス起源の理由

こんにちは
Tokyo modal music labで弦楽器リラ担当のウエダタカユキです。
みなさんアイヌ民族の伝統楽器トンコリをご存知でしょうか?
細長い小舟のような美しいかたちの撥弦楽器トンコリは
樺太アイヌの楽器として知られています。
参考資料 アイヌ生活文化再現マニュアル
ということで
今日は、北の民のルーツ楽器とコーカサスとのつながりを
弦楽器の奏者の視点から深堀りしますね。

トンコリのルーツはコーカサスに

Tonkori and Shichepshin408ページより引用

北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授丹菊逸治さんが
紹介されていた論文によると
トンコリのルーツが
コーカサスの民族楽器Shichepshin(シプチェシン)とあります。

  • トンコリは指で弾く(撥弦楽器)
  • シプチェシンは弓で引く(擦弦楽器)

指で弾くのと
弓で弾く、
違いはあるけど2つの楽器をこうして
並べてみるとたしかに似てますよね。

コーカサスと樺太をつなぐキャラバン交易

で、コーカサスってどこなの?
ロシアの南、イランの北にある
コーカサスはユーラシア大陸のはるか遠く
樺太(サハリン)からなんと1万キロも離れてます。
資料によると、17世紀(江戸時代の初めくらい)
にはすでにキャラバン交易ルートがあったとされます。

17世紀にはすでに両者の間にはルートがあり、実際、1648年にはヴァシリイ・ポヤルコフ率いるコサックがアムール地方を経由してサハリンに来ている。

Tonkori and shipcheshin 414ページより

17世紀に樺太(サハリン)にもたらされた、とされる擦弦楽器シプチェシン
その後、ロシアと清の間に
かわされた条約の後
交易が阻まれ、
弓の材料ともなる馬の毛の入手が困難になり弓で弾くのではなく、指で弾く
撥弦楽器トンコリアイヌ民族の楽器として定着しました。
で、その後間宮林蔵など、日本の探検家がやってきてトンコリを文献に記録したという経緯なんですね。

コサックはサハリン島への侵入ルートを失った。このルートでシチェプシンがもたらされたとすれば、その期間は1648年から1689年までのわずか41年間に限られる。トンコリが18世紀になって突然文献に登場した理由も、この仮説で説明できるかもしれない。 

Tonkori and shipcheshin 414ページより

トンコリのルーツがバイオリンに?

コサックのキャラバンとともに伝えられたと
されるトンコリ、ですが
パキスタンの山岳地帯を旅したときに、
トンコリのルーツとされるシプチェシンそっくりな楽器に出会いました。

パキスタンの北西部は険しい山々で覆われて
古来、シルクロードの要衝としてキャラバン交易の拠点として
中央アジアと南アジアの中継地でした。
かつて王宮だった城塞は
博物館となっていて、トンコリそっくりの
擦弦楽器が展示されています。

実はこのような楽器は
今のスペイン、イベリア半島がイスラム帝国の
版図だったアラブ・アンダルス時代にヨーロッパへ伝わり
バイオリンなどの起源になったと考えられています。

13th century Candiga de Santa Mariaのミニアチュールより

樺太(サハリン)に伝わった、トンコリが
バイオリンのルーツに、とても良く似ているのは
偶然ではなく、ユーラシア大陸の交易路を通じて
つながっていることがわかります。

 

 

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です